10年ほど前仕事でご一緒させていただいていた佐藤隆介先生が今年出版した本『あの日、鬼平先生は何を食べたか 池波正太郎フランス旅日記』を送って下さった。池波正太郎の書生としてフランスに同行した際の旅の記録を綴った本です。
え、あの隆介先生にもこんな経験が! とびっくり。
週刊ポストに当時「世界のロングセラー」という連載があり、隆介先生が執筆されていたのです。その連載の後半は私が撮影を担当しました。
初仕事は2週間の欧州ロケ5カ国で「ロングセラー」10カ所の生産現場に出かけての撮影でした。
当時メインカットは6X7でその他は35ミリ。
RZボディ1台にレンズ3本。35ミリはボディ2台にレンズ3~4本。ストロボはフォトナの武蔵にナショP。(2回目の欧州ロケからはモノブロックに換えたけれど)
三脚も中型ジッツオで、ライトスタンドもそれなりに。
もちろんフィルムとポラだけでも結構な荷物。
今となってはアシ無し海外取材では絶対にありえないぐらいのすごい荷物でした。
そして大抵の生産地は地方にあるので飛行機と車で移動に次ぐ移動。
最初のロケはイギリスからスタートして次はフランス、イタリア、スイス、そこからは車で国境を越えてドイツだったかな。頂いた本の帯に写っているモン・サン・ミッシェルは日曜日に観光したっけ。
でも一番忘れ難いのは、壊したり、紛失したりという事故もなく、すべての日程を終えて成田に無事着いた日曜日の午後、編集者と別れて隆介先生を私の車で鉢山町に送るのが最後の任務でしたが、東関道走行中にアクセルを踏み込んでエンジンの回転数が上がっても車のスピードが出なくなってしまったのです。
浦安の手前あたりから渋滞が始まって、まわりもかなりペースダウンして来たのでまだよかったのですが葛西あたりでとうとう一番右のレーンで老クラウンは停まってしまいました。
ハザード点けて、三角表示板を立てて、JAFに携帯から電話したところ高速道路の電話を使うように指示され、高速道路を歩いて横断して(高速道路の右側に電話はありません)非常用の電話。心細く高速道路のド真ん中で救援を待ちました。この時ばかりは渋滞がラッキーに思えました。そして高速道路管理の車に牽引され一般道へ、そこで先生はタクシーに。
その間本当に怖い思いをさせてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。
その後、JAFの救援車で老クラウンはトヨタのサービスに入院。
クラッチ盤がすり減って無くなったのが原因でした。(←兆候があったのにメカ音痴すぎ)
この一件だけはきっと先生も忘れていないことでしょう。[ida]